時空を超えて心を揺らす。
必然としてある環境が、
普遍を帯びて美を織りなす。
かの表現者達もきっと、
その営みと景色のなかで。
写真:元 圭一(Life Market)
ファッションとライフスタイル。プロダクトとストーリー。ここ何年も続く、的を得たようで曖昧なワードに飽き飽き。街の景色は画一的に、個の趣向は細分化され、トレンドを楽しむ動機も薄れつつある。少々愚痴っぽくもあるが、私は私なりのインスパイアを求め、民藝とその固有性に興味を持った。いち作品としての民藝もそうだし、それらが生まれる環境を尋ね、感じたものを共有していきたい。
飯塚琅玕斎
私が竹藝に惹かれたきかっけは飯塚琅玕斎(いいずか ろうかんさい 1890〜1958)。イメージを圧倒的に超えた美。生活用品としての機能を超えて、かの時代、かの地にあった高い文化レベルを物語るように。大正から昭和初期、その表現は国境を優に超えていた。生野祥雲斎(しょうの しょううんさい 1904〜1974)らとともに、竹藝を通して民藝運動の象徴となる形を生み出した。
その足跡は国内よりむしろ欧州に色濃く、これから訪ねる現代の竹藝家・中臣一(なかとみ はじめ)氏が民藝作家を志したはじまりも、百貨店のイベントを通して知った逆輸入的な視点の展示からだという。研ぎ澄まされた感性。民藝というマイノリティは特に、時間の軸、空間の軸を超えて人々の心を揺らす。その一方、背景にある環境や営みにフォーカスした記述は少ない。
旧竹田中学校
旅のお供と九州へ渡る。それぞれの日常を離れ、四者四様のバイアスを交わす小旅行。大分県竹田市、令和の竹藝を牽引する竹藝家・中臣一氏が工房を構える竹田総合学院へ向かう。初夏の別府湾を背に雄大な阿蘇の峰へ。豊肥本線の車窓を楽しみ辿り着いたのは旧竹田中学校。素朴にたたずむ校舎は現在、地方回帰事業にともない工芸家や職人の拠点として再生されている。
職員室、放送室、懐かしい表札が並ぶ。中臣氏の居場所は音楽室。数々の表現を生みだす空間は新緑を臨み光に溢れていた。隣接された音楽準備室は中臣氏の用いる素材の乾燥に使われているという。大分県は古くより竹工芸の素材となる“真竹(まだけ)”の生産量日本一。供給は一定数あるが、一流が求める良質な素材を手にすることは容易でない。
つくるをつくる
モノのデザインといえばまず、そのフォルム自体が想像しやすい。角度を変えれば、モノの持つ機能がデザインという捉え方もある。さらに俯瞰すれば、モノづくりの環境自体もデザインされたものだ。工業製品がつくられる環境には“効率”が答えとしてある。けれど伝統工芸、民藝がつくられる環境にはそれ以上に“循環”が必須である。作り手以前に素材を授かる自然がありき、農にも似た調和がありき。
独立してある
伝統の技を手に、現代の美意識を胸に、海の向こうで認められても。最新のツールを手に、整然としたシステムに、大量のオーダーを抱えても。まずは間近な土壌、その循環を整えていくことから。一束いくら一袋いくらの素材にも用途はあるが、豊かな自然に育つ竹林を臨み、長閑な空気に身を置けばその大切さに気づく。大量消費の社会から独立してあり続けること。民藝が民藝としてあるために。
原始と美意識
工房を見渡して気がついた。騒々しい機材は一切なく、そこにある設備は至ってシンプル。図工の時間に見た、ホムセンでも見かけるようなツールと手のひら。手づくりの治具で淡々と原始的に。飾りのない木の机に向き合う。素材を切り出すリズム。たおやかな曲線はメロディ。繊細な構造のハーモニー。支点と力点、視点と意識。幾多の作用が交差して造形と機能が浮かび上がる。
自然のフラクタル、感性を揺らす美意識。琅玕斎、祥雲斎のありし日も、時代に響く表現は環境の調和に根ざし、地域の営みが必然としてあり。そんな想像に導く様も竹藝特有かもしれない。現在、中臣氏の作品の多くは海外コレクターの手に渡っている。民藝のなかでもマイノリティに位置する竹藝だが、このロマン溢れる表現が日本人の側にあるように。願いは深まるばかりだ。
中臣一
竹藝家/バンブーアーティスト。1974年大阪府生まれ。早稲田大学商学部卒業。大学在学中に人間国宝の生野祥雲斎の作品に衝撃を受け、竹藝を志す。大学卒業後、大分県立竹工芸訓練センターで竹工芸の基礎を学ぶ。その後、竹藝家の本田聖流氏に師事。2005年に独立し、オブジェを中心に創作。ボストン美術館をはじめ、ニューヨーク、ロンドン、パリなど世界各地の美術館やギャラリーで作品を発表している。また、リッツカールトン東京、リッツカールトン京都、福岡空港VIPラウンジなどのアートワークも手がける。パブリックコレクションは、フィラデルフィア美術館、サンフランシスコ・アジア美術館など多数。
五感を超える印象
夜は中臣氏にお伺いした大正からの旅館を拠点に街並みに。世界屈指の炭酸泉と知られる、長湯温泉。ラムネ温泉とも呼ばれる甘みのある泉質に感激。大袈裟ではなく私の人生一、心地よい湯を楽しむ。その後に訪れたスナックでは、地元で飲食店を営むご夫婦と出会った。「せっかくここに来たのなら。行かんと!」。その土地の人が誇り伝えたいこと、その熱意が翌日のプランに。スナックは旅の基本だ。
滝廉太郎『荒城の月』のモデルとされる史跡、岡城跡。天空を仰ぐ、ラビュタを彷彿とさせる神秘的な石工。まるでマチュピチュ!が過言でない目を疑うまでの景観。そこに身を置いて知る壮大な規模感。その後のご飯がまた格別で、久住の地鶏を網焼きに。注射を打たずに放飼された天然の恵み。炭酸泉を使った素麺の体が喜ぶ味ときたら。いい水、いい空気、今ある土壌そのものが五感を超えて印象に残る。
メディアを通して知り得ることはたくさんあるが、批評を超えた感動は掛け替えない。日本の芸術に固有としてある一流のマイノリティ。都会の日常から足を伸ばして、脈々とある民藝にふれる。次回お伝えするのは京都の陶芸。古都の街角を行き交うささやかな日々に。今なぜこんなに、洋服屋の私がロマンを求めるのか。その訳を丁寧に折り込みながら、民藝を巡る旅を続けていく。